針と糸で編むアクセサリーとソウタシエ作家Akkeys(アッキーズ)
山本 亜紀 (やまもと あき)
長野市在住
夫、長男、長女の四人家族
生徒さんの「できた!」という笑顔が大好き♪
そんな私のビーズ作家への道のりを少し?たっぷり?お伝えします(笑)
ITエンジニアからビーズ作家へ
ITエンジニアとして就職
小さい頃から手作りするのが好きでしたが、まさか作家になろうとは思っていたわけもなく、短大は経営情報学科へ。
あの当時、流行の学科だったかもしれません(^-^;
短大卒業後は、プログラマーとして銀行系システム会社に就職しました。
今で言うIT業界です。当時そんなお洒落な言葉は存在しませんでした。
会社員として5年、ホストコンピュータのプログラマーだったり、パソコンインストラクターだったり、はたまた銀行システムの導入にお客様の会社を訪問したりと、色々な経験をさせてもらいました。

結婚、退職。そして再就職。
5年勤務した後、結婚を機に会社を辞めました。
その当時、私が勤めていた会社は社内結婚の場合、共働きが出来なかったのです。今から思うと嘘のような話です。育児休暇もとれなかったのです。
いつの時代だ・・・。化石のようだ・・・。
そのすぐ数年後には、共働きも育児休暇もとれるように風潮に合わせてシフトされていきましたけど。ちょうど境目だったのです。
もう少し働きたかった私、上司に「もう少し働きたいんですけど・・・」って直談判しましたが、通るわけもなく・・・撃沈。
ちょうどそんな私に「うちで働きませんか?」っと有難いお声がけを2か所からいただき、その一つで働くことに。
今度はサーバーとそこで使っているパソコン何百台の管理のお仕事です。
大きなシステムグループの中の一つのグループを管理するようなイメージです。
パソコンの設定をしたり、壊れたって言われたら修理に出したり、データー保存したり、ID管理したり、メールの設定したり、そんなお仕事でした。
前会社ではホストコンピューターメインで、特殊な世界だったのですが、こちらの職場ではパソコンのハード面からソフト面まで一般的なことを勉強することができました。ただwindows3.1でしたが・・・(^-^;
そうそう、2000年対応もしましたし、2001年になる見守りもしました。
懐かしい・・・。
そう、でも、まるでハンドメイドとは関係のない世界です。
働きませんか?っと私にお声がけいただいたもう一つの職場、
そちらの方がハンドメイドに近い職場でしたね。今思うと。
ひとりシステム担当者としてのお仕事だったので、ちょっと荷が重く自信がなくてお断りしてしまったのです。この時こちらを選んでいたらまた違う道になったかもしれません。
惜しいことをしたかも?なんて(笑)
新しい職場では4年半くらい働いたでしょうか?
ちょうどその職場での契約が切れるタイミングで妊娠が分かり専業主婦へ。
ハンドメイドを再開する
もともと作るのが大好きなので、妊娠中はベビー服や小物など作って楽しむハンドメイド三昧な日々でした。
生まれてからはあまり余裕がなくなりましたが・・・。
お義母さんも手作りが大好きな人で、その頃おしゃれな東京の奥様が自宅でマルシェを開くっていうのがテレビなどで話題になっていまして、
お義母さんが自宅で妹さんとイベントをやることになったんです。
その時に、亜紀さんも何か出してっと頼まれて作ったのがビーズの作品数点でした。今思えばまるで大したこともない、本のパクリのネックレスです。
そんなパクリのネックレスをきっかけに、お義母さんのお友達が「こんなの作れないかしら?」っと持ってきたのが糸で作られたブレスレットでした。
テグスのちょっと硬くてしっかりしたものしか見たことがなかった私は、柔らかくしなやかな手触りに、衝撃を受けました。
そして、そのすぐ後です。出逢ってしまったのは・・・。
子供との散歩中にビーズステッチに出逢う
息子が2歳の時です。春からは幼稚園に入園するその前の秋のことです。
ベビーカーを押して、いつもより少し遠い郵便局へ。
なにやら奥のスペースでビーズの展覧会を開催中。そこで展示されていたのが、糸で作られた作品だったのです。
「ビーズステッチ」っという技法であることを知りました。
とにかく柔らかくしなやかな付け心地。繊細な作品たち。
とても大人っぽくて、上質なビーズたち。その辺で売っているものとは全然違うもの。どうしても作ってみたくなりました。
あと半年待てば、長男は幼稚園に上がる。時間が少し出来る。
でも待てない。すぐにやってみたい。習ってみたい。
とにかくすぐに作れるようになりたかったのです。
仕事をしていた頃の貯金を使って受講料を払い、母に子供を預かってもらい、習いに行くことに。
とにかく一つ一つの作品がとても繊細で、時間はかかるけどとても楽しくて、その魅力的にどんどんハマり一気に認定資格を取得しました。
ビーズ作家としてスタート
始めて数カ月で「ながの東急」の展示会に出品する
ビーズステッチを始めて数カ月の頃です。
当時はとてもビーズが人気でした。あちこちの百貨店でビーズの催し物が開催されていて人気のある作家さん達は全国を回っていました。そして「ながの東急」でもビーズ展が開催されることに。
そのビーズ展に私のお世話になっていた教室も参加することになったのですが、教室で作った作品は販売することができません。デザインした先生の著作物ですから。
どんなものを作ろうか妄想する楽しい時間です。
1個でも売れたらいいなって。
ところが、
なんと10本出品して全部売れてしまったのです!
特に何の仕込みもありません。私を知らない方々が気に入って買ってくださいました。
私、もう少しできるかもしれない・・・そう思った瞬間です。
ネットショップを始める
東急で完売して、もう作るのが楽しくて仕方ありません。
でも材料が高いのです。特に糸。
専業主婦です。限られた財源です。
そんな時の私の武器、インターネットの出番です。プログラマーの経験です。
我が家はIT技術者の夫のお陰でインターネット環境が結婚当初から整っていました。
アメリカから糸をまとめて買って、欲しい人に売ったらどうだろうか?
そんな考えで自分の材料費を抑えるために「糸を売るネットショップ」を始めました。
これがなかなかいい感じにスタートしたのです。
まだ個人のネットショップなんてほとんどない時代のことです。
検索もきっとすぐに引っかかって見つけやすかったんですね。
そして、次に考えたのが「せっかく糸のお店を作ったのだから、オリジナルのキットを作って売ったらどうだろうか??」
こうして、オリジナルのキットも販売するネットショップになっていったのです。

コンテストに出品する
教室に通って取得した認定資格なんて、持っている人は沢山います。
とりあえず課題を作れば認定はもらえます。
どうやったら他の人と差別化できるだろうか?
そんな考えで挑戦し始めたのが「ビーズコンテスト」へのチャレンジでした。
当時は本当にビーズが盛んだったのでコンテストもいくつかありました。
その中で選んだのが「ビーズグランプリ」っというコンテスト。
比較的出品料がリーズナブルだったことと、佳作以上に入れば全国の百貨店を巡って開催させていた「ビーズグランプリ展」で飾ってもらえることから選びました。
とにかく初めてなので、どの程度のボリュームで作ったらいいのかわからず、とりあえず制作→出品。そして、
初挑戦で「佳作」をいただきました。
もっと頑張って、もっといい賞が欲しい・・・
名古屋の高島屋にビーズグランプリ展を見に行って、初めて全国の作家さんの作品と並べられた自分の作品を見てそう思いました。

ビーズステッチ教室を始める
長男が幼稚園に入園して半年ほどたった頃、ビーズ教室を一緒にやらない?っていうお誘いを受けました。同じ教室に通っていたおばさまからです。
お知り合いのカフェで使ってもいいよっというお話をいただいたとのことで。
ただ、認定資格をとった教材で教室を始めるには、価格も決まっていて制約があってちょっとハードルが高いし、私らしくない。価格的にも、もう少し人を集めやすい価格で始めたい。
こうして、自分でデザインしたオリジナルキットでのビーズステッチ教室が始まりました。

佳作、佳作、佳作が続く
教室を始めてちょうど1年後、2人目を出産しました。有難いことに生徒さんが教室の再開を心待ちにしてくれていたこともあり、少しお休みをいただいたのち再開することが出来ました。
そして、年1回のコンテストへの挑戦も続いていました。
認定資格を使わない教室運営をしていることもあり、第三者からの評価のようなものが欲しかったのです。
ただ、佳作、佳作、佳作が続いてどうしても○○賞という賞に入りません。
娘にも手が掛かり、思うように自分の時間がとれません。
忙しさの中でモチベーションも下がり、次第にネットショップにも手が掛けられなくなり、自分で出来る範囲のことをやろうっとビーズ教室に活動を絞ることにしました。


再チャレンジ
コンテストに再チャレンジしようと思ったのは、1枚のコンテストのチラシでした。もう一度やってみようかな?
娘も幼稚園に行くようになり時間が出来てきた頃のことです。
色々アイデアを練り、その時出来る納得の作品を仕上げました。
結果はやっぱり佳作。
何か新しいものを取り入れていかないと変わらないな。
そんな時に目にしたのがソウタシエの作品でした。

ソウタシエ(soutache)に出逢う
ソウタシエ(soutache)を知る
アメリカのビーズ雑誌で目にしたのが出逢いです。
何とも面白い。興味深い、心惹かれる作品でした。
何で出来ているんだろう?どうやって作るんだろうか?
その出逢いからだいぶ経った頃、時々買っているビーズ屋さんでソウタシエコードが数色売られていたのです。試しに作ってみよう!
英語のビーズ雑誌と、英語のYouTubeが先生です。
最初のソウタシエ作品は、ポイって捨てたくなるほど酷い出来でした。
上手くいかない。全然出来ない。
ソウタシエ(soutache)に向かう
上手くいかなければいかないほど、なぜかチャレンジしたくなる。
次のコンテストはこれで行こう!なぜかなぜかの決意でした。
試行錯誤を繰り返し、素材を決め色を決め形を決め、ソウタシエでコンテスト用作品を仕上げました。
そして、そして、
ついにいただきました。賞を!
AJCクリエイターズコンテスト2015で銅賞をいただきました。
どうせだめでしょ!ってひねくれモードだったので、
本当にとてもとても嬉しかったです。
驚きなのですが、900点を超える出品数の中で銅賞をいただくことが出来ました。
これで、きっと何かが変わる。賞をもらったから、きっと何かが変わる。
そう思っていました。

前に進む
賞をいただいたことを、どう生かせばいいかわからない。
賞をいただいただけでは何も変わらない・・・。
話が来るのは雑誌の広告や海外の美術展などへの高額のお誘いばかり。
ネットショップも閉めてしまい、活動は小さくしたままでした。
一度歩みを遅くしてしまうと、なかなか前に進めなくなってくる。
私が活動を小さくしている間にネット環境は大きく変わり、ハンドメイド作品を気軽に販売できる時代に変わっていました。すっかり乗り遅れ、なかなか前に進めない・・・。
そんな苦しい状態から救ってくれるきっかけとなったのは「ゆめサポママ@ながの」が主催したハンドメイド作家のための写真とライティングの講座でした。
販売する機会と人脈とモチベーションをもらいました。
イベントに出店する↔発信する
振り返るとここが一つのターニングポイントです。
ハンドメイド作家さんたちと一緒にイベント出店したり、ネットで売れたのを一緒に喜んだり。ここから少しずつまた動き出しました。
ただこの時販売していたのはビーズの作品、まだソウタシエを商品として展開出来ていませんでした。

スワロフスキー東京本社
ソウタシエで素敵な作品を作りたい。何か私らしい作品にしたいっと思っていた頃ちょうど目にしたのが、スワロフスキー社とのコラボ作品を作る作家募集のメールです。Creemaからのメールでした。
Creemaは作家登録したものの、販売に繋がらず上手くいっていませんでした。多くの作品の中から見付けてもらい、気に入ってもらい、購入してもらうのはとても大変なことです。
説明会が東京にあるスワロフスキー本社であるとのことでドキドキして東京へ。
もちろんスワロフスキーは知っていたけれど、大好きってほどでもなく・・・、綺麗だねっという感じだったのです。
しかし実際にスワロフスキー愛溢れる社員さんから話を聞き、綺麗なクリスタルを目の当たりにして、これを使った作品に仕上げたいっと強く湧いてきたのです。
とにかく会社中があちこちクリスタルだらけで、キラキラ綺麗なんです。
使いたい素材は決まりました。あとはどのような作品にしていくのか・・・?

百貨店での販売の機会をいただくように
ソウタシエの形をまだまだ模索中だった頃、「ながの東急」でのイベント出店の話が舞い込んできました。イベント出店をしたブログがたまたま担当の方の目に留まったのです。
イベントスペースに1週間の出店でした。ちょうど長男が高校受験の頃。しかも搬入は本命の県立高校入試の当日でした。迷って迷って、やろうっと決めたのはそれまで一緒にイベント出店してくれていた作家友達と一緒だったからです。
準備期間1か月ちょっと。怒涛の日々でした。とにかくそれなりにちゃんとした売り場を作りたかった。素人感を出したくなくて、作品が足りなくてスカスカは嫌で。
ソウタシエ作品の形を追求している時間はなく、メインはビーズステッチの作品で行こう!
でも5本だけソウタシエのネックレスと、帯留めを2個ほど出品しました。
このソウタシエがとても評判がよかったのです。
そして、少しずつソウタシエのブローチやネックレスが増えていくことになり、今ではソウタシエアクセサリーだけで出店するようになりソウタシエ作家と名乗るようになりました。

ソウタシエ(soutache)と共に
ソウタシエは成長する
お客さまとのお話の中からヒントを得たり、ウィンドショッピング中にヒントを得たり、私のソウタシエ作品は少しずつ成長しています。
形のバリエーションや色展開も増えたり減ったり。
その時の私の気持ちで変化している部分もあるのですが。
私のソウタシエは前述のとおり独学です。そしてその前には長い長いビーズステッチの経験があります。その2つがいい感じに組み合わさり、他のソウタシエ作家さんとは少し違う独特の作風、私の形になりました。

心を豊かに
ソウタシエもビーズステッチも、形や色、素材の組み合わせ次第で、世界に一つしかないものを作り出すことができます。
シンプルなニットやブラウスが、着けるアクセサリー一つで日常にもフォーマルなシーンにも使い分けられるのが魅力です。
ブローチもネックレスもピアスも、アクセサリーはなくても生きていけます。
生活の必需品ではありません。でも、アクセサリーを身に付けると装いが華やかに、心豊かになるんです。
この魅力を多くの人に楽しんでもらいたい、そんな思いで作っています。

「楽しみ」のお手伝いを
ビーズやソウタシエを通じて色々な繋がりが出来ました。これは私の財産です。ビーズステッチ教室は有難いことに2021年に15周年を迎えました。
10年以上通って来てくれる生徒さんが何人もいて、本当に感謝で一杯です。
気軽に始めたビーズステッチ教室ですが、次第に私の気持ちが変化して「作ることを楽しむお手伝いがしたい」っと考えるようになりました。日常から少し離れて自分の時間を楽しむことのお手伝いです。
現在はビーズステッチ教室のほかにソウタシエ教室・ソウタシエ動画講座が増え、教室で「作る」を楽しんでくれる方、また私の作品を購入してくれて「装う」を楽しんでくれる方、多くの「楽しみ」のお手伝いが出来るようになりました。
ビーズステッチもソウタシエも「糸」で素材を繋いでいます。
私の活動は「糸」がキーワードです。この糸から繋いだご縁を大切に、これからも楽しんでよい作品を提供していきたいと思います。
きっとお出掛けしたくなる、人に会いたくなる、気持ちをグッと上げてくれるアイテム、そんな作品をこれからもお届けしていきます!
Akkeysでした。
